ふぐと言うと皆さんはどの地域を思い浮かべるでしょうか?
おそらくは山口県下関市を連想するという人が多いのではないでしょうか。
この山口県には多くの偉人がおり、下関市から現在のふぐ食文化が広がったという経緯もあるようです。
そんな山口県においてふぐを解禁したのは、長州藩出身の伊藤博文だったのですが、この伊藤博文は解禁前にふぐを食べたことがあったようです。
当時はふぐの禁止が強く敷かれていた時代でしたが、しっかりと除毒する技術は確立されており、特に下関のふぐはその後下関講和会議の場にも出されるほどの安全性を確立していたようです。
そんな伊藤博文はある偉人の弟子だったのですが、この師匠にあたる人物はかたくなにふぐを嫌っていたようです。
今回はこのふぐをこっそりと食べ、ふぐを解禁した伊藤博文の師匠のふぐ嫌いについてご紹介します。
□伊藤博文の師匠とは?
伊藤博文の師匠の話?誰だよそれという人も多いですよね。
歴史好きな人であれば、その人物が誰なのかという事はピンとくるのでしょうが、そうでない人も居るでしょうから少しその偉人についてご紹介します。
今回ご紹介する偉人は、伊藤博文や桂小五郎・高杉晋作などの優秀な弟子が居ました。
この弟子たちに山口県は萩市にあった松下村塾で学問や剣術を教えていたと言われています。
もうお分かりの方も多いですよね。
そう伊藤博文の師匠で山口県に住んでいながらふぐを嫌っていた偉人とは、安政の大獄により処刑された吉田松陰なのです。
吉田松陰がふぐを嫌ったと信じがたい人も居るでしょうが、松陰の書いた物の中に「河豚食わざるの記」という物があるのです。
では少しだけ吉田松陰のふぐ嫌いを見ていきましょう。
□吉田松陰のふぐ嫌い
そもそもなぜ山口県(旧長州藩)にいながらふぐが嫌いだったのでしょうか。
というのも当時の下関では普通にふぐを食べる事が出来ていましたし、こっそりと食べて居た武士もいたようなのです。
その理由が前述した「河豚食わざるの記」に書いてあります。
何でも松陰はふぐの毒によって死ぬことを恐れていたのではないと言っていますが、現代の私たちからすると、にわかには信じがたいですよね。
しかし松陰はこう続けています。
「名を恐れているのだ」とどういうことなの?と思う人がほとんどだと思いますが、要するにふぐを食べちゃダメ!と言われている世の中で、ふぐを食べて死んだなんて不名誉な事ができるはずがないでしょうという事です。
ようはふぐで死んだやつと言う汚名を嫌っていると言っているのです。
更にふぐへの批判は続くのですが松陰は、ふぐはアヘンと同じだと言っています。
どういうことかというと、食べちゃダメだよ!と言われている世の中において、美味しいからという誘惑に負けてふぐを食べる人は、アヘンが輸入されると誰が静止しても好んでむさぼるのと同じだと、むしろそういう奴らの食べ物なのだと言っているのです。
このように松陰はふぐに対してかたくなに批判し食べないという態度を縞目していたのですが、実はこのストイックな態度は松陰が周りに忠告したかったのではないかと言われています。
□松陰の河豚食わざるの記は藩士に向けた物?
松陰の河豚嫌いが忠告とhあどのような意味かと言うと、そもそも俺はふぐ嫌いなんだ!だからお前らが食べるのは悪だ!なんて事を言うのって相当性格悪いと思いませんか?
そもそもそんなこと人に言わなくて良いでしょうし、禁止されている世の中でわざわざ書き記すことでもないでしょう。
と考えると、おそらく長州藩の中にはふぐをこっそり食べて居た人がよっぽど多かったのでしょう。
その様な人たちに向けて「河豚を食べて居る奴はアヘンが輸入されたらアヘンもむさぼるのか!?」と言う強い非難の声を上げていたのだと言えるでしょう。
なぜアヘンなのかと言うと、当時の中国(清)ではアヘンにより戦争まで起こったほどでした、勿論近隣の国でそんな事が起きているなんてことは松陰たちも知っていたはずですし、当時のトピックスだったのではないでしょうか。
□師匠が批判したふぐを解禁した弟子
これだけ松陰がふぐを食べるのは悪だ!と批判をしていたのですが、弟子である伊藤博文と桂小五郎・高杉晋作はこっそりふぐを食べた事があったようで、その時の味が忘れられなかったのかもしれません。
明治になり山口県の春帆楼にてふぐを食べた伊藤博文は、わかっていたのですがわざわざおかみに何の魚だ?と聞いています。
その時に女将がコチですとかヒラメですなんて言ったら今の河豚食文化は確立されていなかったのかもしれませんが、正直に答えたうえでしっかりと除毒をすれば安全に食べられると説明をしています。
このことがきっかけであっさりと師匠が批判していたふぐを解禁してしまうのですから、松陰も草葉の陰で腰を抜かしていたかもしれませんね。
このように歴史の中ではふぐを嫌う人と好んだ人がいるのですが、何となく情勢などを踏まえて読み解いていくと楽しいかもしれませんね。
現在は安全に美味しく食べられるふぐですが、当時の人たちにとってはとても危険な物だったのかもしれませんね。