猛毒を持っているふぐ。
ふぐが持っている毒の毒素は青酸カリの850倍ほどともいわれています。
そのため昔はふぐを食べてふぐ毒の中毒になり命を落としてしまう人が多かったようです。
現代でもまれに死者が出ているようで、人間の体は今も昔もテトロドトキシンに対する抵抗力は無いようです。
しかしふぐは海に行けば簡単に釣ることができる魚であり、猛毒を持っている魚でもあります。
そんな危険な魚が簡単に手に入るとなると、ふぐの毒であるテトロドトキシンを利用して人を殺してしまうなんて悪い人が現れそうですが、実際の話ふぐの毒で人を殺すという事は可能なのでしょうか。
□理論上は可能
基本的にふぐの毒であるテトロドトキシンは青酸カリの850倍の毒素を持っていますので、利用して殺人を行うという事は、理論上は可能だと言えます。
しかしふぐを入手したとして、どのようにふぐの毒を抽出したらいいでしょうか。
ふぐ毒の致死量はふぐの肝2g程度と言われていますが、この肝2g程度のテトロドトキシンを抽出する術がなければ事実上は不可能とされています。
中には肝臓を使えばという人も居ますが、肝臓をそのまま食べさせるとなると難しいですし、乾燥させて煎じても魚臭さが残ってしまいますので、飲み物に混ぜても現代人の味覚では普段と匂いが違うという事がすぐにばれてしまいます。
更に普段魚を捌いた事が無い人にはふぐを捌くのは意外と難しく、効率的ではありません。
では捌いた後の物を利用しようと考えてしまう人も居ますが、基本的にふぐの内臓は流通を禁止されていますので、入手する事は現状不可能です。
また、ふぐ料理を提供しているお店から盗もうにも、ふぐの内臓は厳重に保管されているため絶対に取り出せません。
どの程度厳重化と言うと、ふぐの内臓は悪用を避けるためにカギ付きのジェラルミンのケースに保管されています。
ですからそのケースから入手する事も現実的に不可能だと言えるでしょう。
しかし実は歴史的にみるとふぐの毒を使ったのではないか?と言われている殺人があるので少しだけご紹介します。
□戦国武将井伊直平の殺害
テトロドトキシンを利用して殺害されたとされている歴史上の人物がいます。
それが今川義元の家臣である井伊直平です。
この井伊直平と言う人は後の徳川四天王の一人井伊直正の曾祖父である井伊直満の父親にあたる人物であり、今後の歴史をしっかりと動かしていきそうな人物の一人でした。
直平は今川氏真が弔い合戦を仕掛けた際にも一緒に出陣している今川家でもかなりの重要人物であったことがわかります。
しかし駐屯していた白須賀の直平の陣から相次いで出火してしまいそれが原因で白須賀の集落が焼けてしまう事になり、それを今川氏真に過去の直平の息子である直親暗殺の件の恨みで軍に被害を与えたのだと疑われてしまい、裏切り者である天野左衛門尉の討伐に出陣する事になります。
出陣の準備中に家老の飯尾連竜の室のお田鶴の方にお茶を進められ飲んだ後に落馬して命を落としているのですが、このお茶がテトロドトキシン入りのお茶だったのではないかと言われています。
しかし歴史的にはふぐの記載もテトロドトキシンの記載もありません。
ではなぜテトロドトキシンが入れられていたと言われているかなのですが、井伊直平が出発したのが現在の久能山東照宮にあたる場所です。
また落下した場所が現在の有田町にあたるのですが、徒歩で約5~6㎞であり現代人の徒歩で約1時間程度です。
昔の人は40分ほどで歩いていたと言われているのですが、お茶を飲んで落馬までが1時間程度となります。
ふぐ毒であるテトロドトキシンによって症状が出始めるのが、約30分~40分程と言われており、四肢の麻痺などによって落馬したと考えると時間の辻褄が合うと言われています。
確かに海も近くふぐの毒は簡単に入手できたことでしょうし、少々濃いお茶で匂いを消しておけば出陣前ですので気付かなかった可能性は非常に高いと言えるでしょう。
□トリカブト×テトロドトキシン殺人事件
1986年の5月に石垣島のホテルにて、2月に結婚したばかりの女性が死亡するという事件が起きました。
死因は急性心筋梗塞と判断されて終結しそうな流れだったのですが、女性に掛けられていた保険金の金額が1億越えだったため警察は不審に思います。
しかもこの女性の夫は3回目の結婚であり、2人の前妻も心臓の病気で亡くなっているという不可解な部分があったのです。
警察が保険金殺害の線で再捜索をし、採取された女性の血液からトリカブトが検出されたのですが、夫には女性が死亡した時間から2時間前までのアリバイがあったのです。
トリカブトには即効性がある為2時間も服毒後に生きている事はできません。
そんな中夫がくさふぐを大量に購入した事がわかり、女性の冷凍していた血液を再度調べたところテトロドトキシンが検出され夫のアリバイは見事崩れてしまうのです。