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秀吉の朝鮮出兵とふぐ料理

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秀吉の朝鮮出兵とふぐ料理

「秀吉の朝鮮出兵とふぐ料理」

贅沢な日本料理と聞いて皆さんは何を想像されますか。

寿司や天ぷら、若しくはウナギでしょうか。

海外の方に、日本料理で贅沢だと思う食べたい料理は何でしょう。

と、訊ねるとふぐ料理と答える方が多いようです。

それほどまでに、ふぐ料理は日本を象徴するような料理で、かつ贅沢なイメージの強い日本料理なのだそうです。

そんな贅沢な料理のふぐですが、最近では外国人の方も食べるようになり、今や寿司や天ぷらと並んで、世界的な日本料理の代名詞になっていますが、数年前まではわざわざ毒のあるふぐを食べるなんて日本人はなんてクレージーなんだと言われていた時代もありました。

しかし、ふぐで町おこしをしようとしている人たちのおかげで、少しずつふぐが世界に浸透したのですが、まだまだふぐについて外国人は勿論日本人ですらあまり知らない事が多いようです。

というのも、ふぐは昔から日本の歴史と長く歩いてきたものであるという事です。

日本でのふぐ食の始まりは、縄文時代ほど昔まで遡ります。

そして長い間食されてきていたふぐ食は時の日本を代表する人物によって禁止をされたり、解禁されたりと翻弄されながら今のふぐ食文化が誕生したのです。

そこで今回は、ふぐ食を日本で初めて禁止するに至った経緯と禁止を行った人物についてお話いたします。

ふぐ食を禁止したのは誰

現代でふぐを食べていると、過去の日本で自由にふぐが食べられなかった時期が300年近くあった事に驚きます。

そんなふぐ食を禁止とした人物というのは、日本三英傑の一人で時の太閤豊臣秀吉でした。

ふぐ禁止令を発令した時の秀吉は55歳と無くなる7年前の事でした。

そもそも秀俊55歳の年に何があったのでしょう。

秀吉が55歳と聞くとわかる人にはわかるかもしれませんが、普通の人にはわかりませんよね。

年号で言うと、文禄元年、西暦で言うと1593年の4月なのですが、この時何が起こったかと言うと、有名な朝鮮出兵が開始された年なのです。

何故、この朝鮮出兵がふぐの禁止令と関係があるのだろうと思っている方も少なくは無いでしょう。

朝鮮出兵で起きた大誤算

秀吉の朝鮮出兵には日本中から兵士を集める必要がありましたが、九州などの地方からやってくる兵士たちを大阪へ集結させて今の長崎県などから船で渡るにはあまりにも兵が疲弊してしまう為、兵の集結地点を山口県下関へしました。

そこで、秀吉には大誤算な出来事が起こってしまいます。

それが、兵士たちのふぐ毒中毒による大量死だったのです。

その為秀吉は大変激怒し翌日には、ふぐ食禁止令の立札を立てるのです。

この様に聞くと、ふぐくらいで大騒ぎして秀吉は器が小さいなと思っている方も居らっしゃるかと思いますが、実はこれは明治以前の日本では当たり前の話が原因なのです。

秀吉がふぐを禁止したのはなぜ

秀吉の名誉の為にも言っておきますが、ふぐ食が禁止になってしまったのは秀吉が器の小さい人物だったからではありません。

それよりももっと深い根底の当時の日本人の常識が根本にあったのです。

というのも、兵士たちは誰の為に戦うのかという事です。

それは、間違いなく主君の為ですよね。

そう、主君の為に戦う為の命をふぐ毒中毒によって落とすなど、無駄死に以外の何者でもなかったのです。

もしも、初期段階でふぐ食の禁止をしていなければ、朝鮮出兵の最中に秀吉は兵士たちの多くをふぐ毒中毒によって失ってしまい、朝鮮半島へ攻め込むどころではなかったと言えるのです。

その為秀吉はふぐ食の禁止令を発令したのですが、実はこの禁止令は武士のふぐ食を禁止する物であって、主君の為に戦う事のない町民や農民への効果はありませんでした。

その為ふぐ料理は、歴史の中に埋もれてしまうことなく、現代へと受け継がれてきたのです。

なぜふぐ食中毒が多く発生したのか

今ではふぐには猛毒があると言うのは有名な話です。

それはおそらく当時ふぐを食べていた人たちにも、とても有名な話だったはずです。

しかし、なぜふぐ毒中毒が発生してしまったのでしょう。

それは、当時の日本にはふぐを食べたことが無いだけではなく、見たことすらないという人が大勢いたのが原因だと言われています。

というのも、新鮮な魚というのは産地でしか食べる事は出来ず、地方の人が食すのは主に干物や川魚でしたので、海にいるふぐを山から出てきた兵士たちは知らなかったのです。

当時のふぐは今の様に有名ではなく、特産品としての扱いでしたので、調理済みの物がほとんどだったのでしょう。

そんな中、海で釣りをして兵士の集結までの間の暇を持て余していた兵士たちは、釣れた魚がふぐだという事にさえ気づくことなく、鍋で煮て食べてしまったのです。

更には、その出来事が1晩や2晩の内に起きてしまうと、毒がある魚だという事が広まる前に死んでしまう為、多くの犠牲が出たとされています。

このような事から、秀吉がふぐ食の禁止令を発令して以降300年間は国を守るための力である武士や兵士のふぐ食を禁止されていたのです。

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