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2月9日はふぐの日

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2月9日はふぐの日

29日はふぐの日

皆さんは29日がふぐの日だとしていらっしゃいましたでしょうか。

29でどうしてふぐなのかと、おっしゃる方もいらっしゃるかと思いますが、実はこのふぐの日の発祥は山口県下関なのです。

ふぐと言えば毒があり危険な魚として有名です。

大阪などでは当たると死ぬと言う事になぞらえて、テッポウと言われています。

因みにテッポウの刺身の略で「てっさ」と言われるくらいです。

しかし、山口県では「ふく」と呼ばれている為29日が「ふくの日」、「ふぐの日」となりました。

今回はそんなふぐの日についてご紹介いたします。

ふぐと下関

まず初めに、ふぐの日を語るうえで下関とふぐとの関係性をお話いたします。

その昔豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に、諸国の兵たちを一度下関へ集めたのですが、ふぐ毒の事を知らない兵たちが、ふぐの内臓まで煮て食べてしまったために、ふぐ毒中毒が起こりました。

これが原因で兵士が死亡したために、秀吉はふぐの絵を描いた立札を立てました。

内容は「この魚食うべからず」といった内容だったそうです。

この日より「ふぐ毒取締令」が発令されたのでした。

この「ふぐ毒取締令」は武家などへの強制力に特化したもので、見つかるとお家取り潰しにさえなりかねないものだったそうです。

そんな「ふぐ毒取締令」の中、民間の人たちはひっそりとふぐ食文化を守り値いていました。

そして明治に入り、伊藤博文が下関を訪れた際に、下関のふぐを食すのですが、この時ふぐの毒に当たるものが一人もいなかったとして、「下関のふぐに毒はあらず」の言葉とともに、下関ではふぐ食が解禁されるのでした。

このころから徐々に全国へふぐ食が解禁されていくのですが、禁止を受けたのも下関、解禁を受けたのも下関なのです。

この事からもうかがい知れる様に、下関とふぐとの関係は深い物だと言えるでしょう。

また、現在のふぐの調理法も山口県が発祥とされるものが多く、下処理を行う業者の数も日本一多いふぐの故郷となっているのです。

ふぐの日の制定

そんなふぐと所縁の深い山口県下関ですが、言ってみればふぐで一大産業を立ち上げたようにも思えますよね。

そのせいなのか、はたまた全くの無関係なのか、下関ではふぐの事を「ふく」と呼ぶようです。

下関を豊かにした福を呼ぶ魚という意味が昔はあったのかもしれませんね。

そして1981年に下関ふく連盟が、ふくに掛けて29日をふぐの日と制定しました。

ふぐの日の催し

ふぐの日と下関ふく連盟が制定しているのですから、ふぐに関する催しがあるようです。

模様師と言っても大きなイベントというよりは、料亭やお店での割引がメインの様ですが、高級食材のふぐをこの日は美味しくそして安く食べられるという事で、ふぐ好きにはたまらない1日の様です。

29日以外にもふぐの日が

実は29日以外にもふぐの日という物ができています。

そのほとんどは語呂合わせから来ているようですが、旬の時期に合わせてとの心遣いの様にも思えるようなふぐの日など様々です。

例えば、929日は1997年からふぐの日とされています。

9月と言えば、ふぐが美味しくなり始める時期なのです。

そこで語呂合わせも交えて929日をふぐの日としているようです。

毎月29日はふぐの日と言われるよりはありがたみが感じられますよね。

他にも1029日もふぐの日なんですよ。

こちらは少し違って、とらふぐ限定の日みたいですけど、とらふぐはふぐの王様ですよね。

やはり王様には特別な日って必要ですよね。

10月なのは10って「とお」って言いますよね。

なので、1029で「とお、ふく」→「とおらふく」→「とらふく」→「とらふぐ」となったようです。

このように多くのふぐの日がありますが、9月のふぐの日には「秋のふく祭り」、29日は「ふくの祈願祭」などが行われているようです。

また、429日にはふぐの供養をする日なんかもあるようです。

この供養祭の本当の目的は、全国へふぐシーズンの終わりを知らせる行事になっているようで、伝統行事にもなっているようです。

下関の南風泊市場に全国からふぐ関連の業者が集まり、ふぐ族の霊を慰め、関門海峡にふぐを放流するのだそうです。

確かにふぐを捕るだけでは、いずれ漁獲量は減ってしまいます、今もすでに減っているのですが、漁協やふぐの関連業者の方々全員でふぐを守っていこうとされている事が全国に発信できる良い日なのかもしれません。

ふぐに日には是非下関へ

このように、とてもふぐと所縁の深い地方なだけに、多くのふぐに関係する行事が設けられているようです。

一時は禁止令にて衰退しかけたふぐ料理ですが、下関の料亭や漁協、また全国のふぐ関連業者の方々の努力で今日まで受け継がれてきています。

もしも、伊藤博文の食べたふぐに毒が残っていたなら、禁止令で料亭の方が店を辞めていたならばきっと今ふぐを食す事は無かったと思います。

そんなふぐの歴史に触れる事の出来る下関へ皆さんも一度訪れてはみませんか。

きっと美味しいふくが出迎えてくれますよ。

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