日本で古くから食されてきた現代の高級食材ふぐ。
このふぐですが、日本のふぐ食の始まりは縄文時代とも言われています。
そうなると、日本人は2000年以上も前からふぐを食べていたという事になるのですが、それだけ古くから食されていたふぐですから、日本人の生活には溶け込んでいたに違いありません。
そこで思ったのですが、日本にはというか世界各国にはその国にちなんだ「ことわざ」という物があります。
古くから食され、日本人の食を支えていたふぐであれば、日本のことわざの中に出てきてもおかしくはありませんよね。
そこで今回は、日本のふぐに関することわざをご紹介していきます。
■ふぐと入ったことわざと聞いて思い浮かびやすいのはこれ
基本的に知っていることわざというのは、皆さんだいたい同じかと思うのですが、ふぐと聞いてまず思い浮かぶことわざは、「河豚は食いたし命は惜しし(ふぐはくいたしいのちはおしし)」という物ではないでしょうか。
これはよく、言葉通りの意味として使われることが多いようですが、実はその使い方では50点なのです。
というのも、このことわざには裏設定があり、ふぐを食べたいけれどあたってしまうと命を落としてしまいそうだから、命を落とすくらいならば食べずにいようか、どうしようかという意味が隠されているのです。
その為、これは欲しいけれど、でもどうしようという様な、どっちつかずで迷って躊躇している様子の時にも使えるものなのです。
きっとむかしの人も、ふぐは食いたいけれど怖いなとお店の前で右往左往しながら躊躇していたのでしょう。
こんなことわざを紐解いてみると今も昔もふぐが食べたいと思うのは変わらないのだなと安心してしまいます。
■「河豚にもあたれば鯛にもあたる(ふぐにもあたればたいにもあたる)」
これは、ふぐにあたる事もあるかもしれないが安全な鯛にでもあたってしまう事があるという意味です。
具体的に言うと、ふぐには確かに毒があるからあたるのは怖いけれど、体調が悪かったり運が悪かったりすると鯛にもあたるんだから、どこでどんな災難が待ち構えているのかわからないという事です。
確かにふぐの毒にあたってしまのは死につながりますから災難ですし、鯛にあたるのも辛いですから、どちらも災難には変わりありませんよね。
■「ふぐ食った猫の腰(ふぐくったねこのこし)」
基本的に腰抜けという意味で使われているようです。
というのも、ふぐを食べた猫がふらふらとしている様子を指しており、足も腰もがくがくしているという事が連想できますよね。
ですから古くから腰抜けの人を指す言葉として使われていたという事が分かるのです。
■「河豚食う馬鹿河豚食わぬ馬鹿(ふぐくうばかふぐくわぬばか)」
河豚には毒がある為古くから多くの人が、ふぐ毒の犠牲になっていました。
確かに現代は、きちんとした決まりがあり、調理法が確立している為にお店で食べたふぐにあたるという事は、基本的にありません。
しかし、昔はまだ調理法が確立されていませんでしたので、ふぐを食べると毒にあたって死んでしまうという事が度々起こっていたのです。
その為、巷ではふぐを食べるなんて馬鹿のする事だと言われていたのですが、ふぐの美味しさを知っている人たちは、この様に美味しいふぐを食べないなんて、本当に勿体ない、そんなのは馬鹿のする事だと言っていたのです。
そのことから、最近では人の忠告を無視して危険な事に飛び込む事や、物事の本質に気付かずに噂だけでやらないと決めているような時に、皮肉を込めて使うという方も居らっしゃるようです。
■意外と多いふぐに関することわざ
ことわざを調べていると、意外とふぐに関することわざが多い事に驚きます。
しかし、どのことわざもふぐの毒ありきでの言葉になっている為、当時の日本の人々が、ふぐの美味しさはわっかっているのにやはり毒にあたる事が怖かったという事が伝わってくるようです。
確かにふぐによる被害で秀吉は多くの兵を失っていますし、当時の日本人にとってはふぐの毒という物は、多くの武器よりも脅威だったという事が分わります。
そんなふぐですから、最近は海外からも、なぜ毒のある魚を食べるのかわからないという様な事を言われています。
しかし、現代n日本人は古来よりふぐとともに生活をしてきたために、ふぐの脅威をあまり感じなくなってしまっているのかもしれません。
というのも、最近はしっかりとした処理がなされている為、ふぐによる被害はほとんどなく、日本人の意識に危険な魚ではなく、しっかりと調理をすると安全に食べる事ができる魚だと認識されているからなのでしょう。
その為、ふぐを自分で釣ってきて調理も自分で行い、食すという釣り人が居るのです。
しかし、ふぐは古来から危険な生き物としてことわざにも出てきており、各地方のふぐの呼び名にも不吉な物としてとらえる事のできる魚として、考えられてきました。
ですから、もう一度ふぐに対しての認識を改める必要があるのかもしれません。