日本では古くは縄文時代ごろからふぐを食べていました。
縄文時代ごろからの食文化で残っているのはふぐくらいかもしれませんね。
そんなふぐですが、やはり最初の頃には多くの犠牲が出ていたと考えるのが当然の事で、しこ錯誤の上ようやく今の安全なふぐ食文化ができたといっても過言ではないでしょう。
そんな中、昔まんが日本史に掲載されていた縄文時代編にふぐについて書かれていたのをおもいだしたのですが、おそらく40代前半から30代半ばくらいの人は見たことがある部分かもしれません。
その場面というのは、ふぐ好きであった縄文人の男性の家族がある夜に突然亡くなってしまうという場面です。
長老はふぐの毒で死んでしまったなというような事を言った後に、ふぐの毒で被害が拡大しないように家ごと燃やすように指示をして、縄文編終了という形になっています。
しかしこれは漫画の中だけの話だと思っていたのですが、実は本当の話がもとになっていたと噂されていたことは御存じでしょうか。
今回は縄文時代にふぐによってどのような悲劇が起きたのかをご紹介します。
□ふぐの毒による一家全滅
ふぐの怖い部分というと、なんといってもテトロドトキシンですよね。
テトロドトキシンには青酸カリの850倍もの毒素が含まれており、いとも簡単に人を死に至らしめてしまいます。
そのため現代では内臓などを取り除いて食べるが、一般的になっていますが縄文時代の人々にはまだふぐの何がダメなのかが理解されていなかったのです。
それもそのはず、何か見たことない魚が獲れたから食べてみるかくらいのレベルのはなしだったはずですよね。
そのためとりあえず美味しそうな魚が獲れたという事で自宅で調理をして食べたところ、全員がテトロドトキシンにあたって命を落としてしまうという状況になってしまったと予測されています。
これは実は憶測の話ではなく、ある遺跡から一家全員と思われる遺骨が発見されたのですが、その際に一緒に発掘されたのがふぐの骨だったのです。
まんが日本史では、長老が火を付けさせましたが、実際の中では一夜にして一家が全滅したため、何かの疫病か祟りだと思われてしまいそのまま放置されたのだと推測されています。
このように縄文時代からふぐを食べていたものの、しっかりとした調理法が確立されていなかったため多くの人の命が犠牲になったようです。
おそらくふぐの毒によって亡くなりふぐと一緒に埋葬されている遺跡はまだまだ発見数が少ない物の、発掘作業が進むにつれて増えていくといえるでしょう。
発見されているふぐの骨は、今回はご紹介した物と別に、貝塚からも発見されるなど食べても大丈夫だった人も居た事は間違いありません。
□ふぐを自分で捌いて食べてはだめ
今回ご紹介した縄文人の人々は、ふぐの毒がどこに含まれているのか、またどれほど含まれているのかを知らずに食べていたはずです。
また現在のようにふぐの研究がされていたわけではありませんので、おそらくふぐを食べて多くの人が亡くなったのも、ふぐのせいではなく何かの疫病や祟りだと最初は思ったのではないでしょうか。
そこから少しずつ生きるためにふぐの安全な部位を探し食べては犠牲者が出る、を繰り返しふぐは食べる事ができるという事に繋がりふぐ食の食文化の元が作られたのです。
そのため当時の人々が行ったふぐを自ら捌いて食べるという行為には、勇気と知恵を感じる事ができますが、現代の私たちがふぐを自ら捌いて食べるという行動は、単なる無謀であり、称賛される事はまずないでしょう。
というのも、現代ではふぐの危険性も危険な場所でさえも多くの人が知っています。
そしてふぐの安全な食べ方も確立されており、ふぐを捌くことができるプロのふぐ調理師も存在しています。
そんな中でふぐを食べたいからとふぐを自ら捌いて食べるという事は、本当に危険でただただ無謀な行為だといわざるを得ないのです。
また現代では、医療技術も向上していますが、ふぐの毒であるテトロドトキシンに関しては解毒剤はおろかその性質さえも解明されていませんので、病院へ救急搬送をされたとしても、苦しむ結果になってしまうのです。
多くの場合は、体内にテトロドトキシンが吸収されるのを防ぐための胃の洗浄と、呼吸困難になってしまうため、窒息を防ぐ人工呼吸器の装着くらいの応急処置だけです。
あとは自分の運と生命力に任せるしかなく、本当に危険な状態になりますので、家族も心配しますし、多くの人に迷惑をかける結果になってしまうのです。
ですから本当に自分で調理する事はせず、プロが捌いたふぐを食べるという事を守るようにしましょう。
確かにふぐは高いですが、自分で捌きあたってしまったらふぐを料亭で食べるよりも高額な治療費が必要になるばかりではなく、大切な人にも心配をかける結果になってしまします。
ですから最初から美味しく安全に食べる事にしてくださいね。