皆さんのふぐに対するイメージはどのような物でしょうか?
危険なイメージから美味しいといった幸せなイメージまで様々なイメージが一人一人ありますよね。
例えば大阪ではふぐの事をてっぽうと呼びます。
これはふぐの持つ毒にあたってしまうと必ず死んでしまっていたため、同じように戦で最強の武器とされ弾に当たってしまうと必ず死んでしまう鉄砲とかけたのが語源だと言われています。
このようにふぐの呼び方が地方によって違うという事は多々ありますので珍しいことでもなく、またふぐは危険で多くの人が命を落としてきた魚の為その呼び名が不吉な物を連想させるのは仕方のない事だといえるでしょう。
そんな中下関に旅行で訪れた事があるという人の中で、下関にはふぐと言うお店が無かったという人も多いのではないでしょうか。
ふぐが無い代わりに「ふく」が販売されていますが、フグによく似ていますよね。
このふぐとふくは違う魚なのでしょうか?同じ魚なのでしょうか?
ふぐとふくは同じ魚
下関で売られている「ふく」と普段見慣れている「ふぐ」は全く同じ魚です。
これは冒頭でお話したふぐをてっぽうと呼ぶ大阪の感覚に近い物であり、ふくは下関やその周辺の北九州市で呼ばれているふぐの名前の事なのです。
実はこの「ふく」と言う呼方がふぐの本来の読み方だったとされており、万葉集などでは鰒という字でふぐが表現されているなど古くから日本で使われていた漢字は河豚ではなく鰒だったのです。
それがだんだんとなまってふぐと濁ったと言われており、特に西日本では「ふぐ」ではなく「ふく」が広く使われていました。
しかしテレビやネットの普及とともに東日本で使われていたふぐと言う呼び方が広まり、現在では「ふぐ」と言う呼び方で統一されてしまっています。
下関のふぐにはふくがある?
下関でも若い人を中心にふぐと呼ぶ文化が広まっています。
下関ではふくと言う呼び方を残すためまた、全国にアピールするために現在もふくと言う呼び方をしています。
しかしただかたくなにふくと呼ぶだけでは、ただの古い集団ですで「下関のふぐには福があり」なんてキャッチコピーを付けています。
これは幸福の福と「ふく」をかけた物で最近では唐戸市場周辺でもふくを探すとして、ふぐのモニュメントを探し歩くことができます。
ふぐの呼び方で不吉な物でないのは珍しい?
ふぐの別名として使われる呼び方で不吉でないものは実は下関周辺で使われている「ふく」以外にはありません。
過去の日本ではふぐが膨れる様から「ふくべ」などと呼んでいたようですが、最近では大阪の「てっぽう」を始め多くの呼び名があります。
長崎では棺桶を意味する龕箱(がんばこ)を由来として「がんば」と呼ばれています。
これは龕箱を用意してでも食べたい(命を落としてでも食べたい魚)という意味らしいです。
同じ九州でも鹿児島ではふぐの毒にあたると10回転んで倒れるほど苦しいと意味から十転倒がなまり「ジュッテントン」と呼ばれています。
その他にも「当たれば身の終わり」が転じ「美濃・尾張」から尾張と言えば名古屋という連想ゲームのような発想から瀬戸内海における「なしふぐ」・「こもんふぐ」・「ひがんふぐ」などの一部のふぐを指して呼ぶようになったようです。
この様にフグと言えば本当に恐ろしくでも食べたいという何とも抑える事の出来ない衝動を人々は不吉な呼び方にする事で、制御していたのかもしれません。
多くのふぐの呼び方が死を連想するような呼び方なのも、しっかりと除毒をしないと死んでしまうという警告の意味も含めたのかもしれません。
ふぐを食べるなら安全なフグを食べよう
ふぐを食べる時には絶対に安全と言うフレーズは欠かせないといえるでしょう。
というのもふぐにはテトロドトキシンが含まれていますので、しっかりと除毒できて居なければ本当に命を落としてしまう事になってしまいます。
特にふぐを食べるタイミングと言うのは夜の宴会などが多いでしょうから誰にも気づかれず食中毒の発作が出てしまうという事も起こる可能性があります。
ふぐの毒による死因は窒息死ですから誰にも気づかれないまま息ができなくなってしまい命を落としてしまうという事があっても不思議ではありませんよね。
ですからしっかりと除毒をされているふぐを選んで食べるという事は最低限の自己防衛です。
昔の人は除毒の技術が低かったので、フグを死んでもいいから食べたいと一か八かの様な感じで食べていたようです。
しかし現代ふぐ食ではしっかりとした除毒技術が確立されているため、博打の様にフグを食べる必要は全くありません。
問題なのは自分で捌いて食べてしまう事です。
素人調理によりふぐを食べる事は自己責任と言われていますが、素人の調理ではしっかりと除毒ができない事が多く、ふぐの毒であるテトロドトキシンにあたってしまう可能性が大きくなるため絶対に行ってはいけない事だといえるでしょう。