ふぐと聞くと皆さんはどのようなイメージを思い浮かべるでしょうか?
高級魚、美味しい魚というイメージが浮かぶ人や毒のある危険な魚、歯が鋭く危険な魚というイメージが浮かぶ人も居るかもしれません。
日本では古来よりふぐを食べて居たとされており、ふぐ料理は日本の食文化の一つとなっています。
そのため高級魚として扱われ、ふぐを調理する人もしっかりと知識と腕を兼ね備えたふぐ調理師の身が行う事になっています。
しかしその反面日本で多くの人が、ふぐの毒であるテトロドトキシンの犠牲になってきた事も事実であり、日本では数百年に渡りふぐを食べる事を禁止していた時期もあったようです。
そんなふぐですが、いかにも縁起の悪そうなネーミングで呼ばれることが多く「キタマクラ」「鉄砲」など有名な呼びたかが存在しています。
ですがそんな一方で「ふく」と呼ぶ地域もあり、こちらは「福」にかけての呼び名ともされているようです。
いかにも縁起の悪い呼び名や幸せを運んできそうな名前があるふぐですが、ふぐは果たして死神なのでしょうか福の神なのかという事を考えていきましょう。
□死神的な側面
ふぐが縁起の良くない魚だとされている理由は、やはりふぐが持つ毒によるものではないでしょうか。
というのも「鉄砲」も「キタマクラ」も基本的にふぐを食べると死んでしまうという事が語源になっているのです。
どういうことかというと、日本に鉄砲が伝来した当初は鉄砲の弾に当たると必ず死んでいました。
現代では当たり所が良ければ死なないかもしれませんが、昔はそうではなかったのです。
またふぐも同じで、当時の日本では現代のように人工呼吸器もなければ人体の事はあまりよく知られていませんでしたし、ふぐの毒であるテトロドトキシンについてもあまりよく知られていませんでした。
そのためふぐの毒にあたると確実に昔の日本では命を落とす事になっていたようです。
そんな当たると必ず死んでしまうという事をかけて、ふぐの事を「鉄砲」もしくは「てっぽう」と呼ぶようになったようです。
また「キタマクラ」という呼び方についての語源は「北枕」であり、この北枕というのは死者の頭を向ける方角と言われています。
つまりふぐを食べて当たると死んでしまう、死んでしまうと北向きつまり北枕で寝かされる事になるという事から「キタマクラ」と言われるようになったとされる説があります。
そんな確かに死というワードと隣り合わせになるような別名を持っているとやはり死神なのではないかと思ってしまいう人が多いかもしれませんね。
□福の神的な側面
それではふぐが「ふく」と呼ばれているのはというと、ふぐの本場下関や北九州といった地域になります。
そもそもふぐはもとはフクという呼び方の魚だった事は日本の文献を見るとわかるのですが、という字のフクを表す漢字は福ではなく鰒だったともいわれています。
しかしふぐが日本の歴史の中で一番輝いた時をご存じの方はどれくらいいるでしょうか。
ふぐが日本の歴史上一番輝いた瞬間は、日清戦争終戦後に開かれた下関での講和会議での瞬間でした。
当時日本ではまだまだふぐは禁止されている魚だったのですが、講和会議が開かれた下関の春帆楼では魚が入らず頭を抱えていたそうです。
しかし料理は提供しなければいけないという中で、提供されたのがふぐでした。
当時内閣総理大臣だった伊藤博文は「その魚は禁止されている魚ではないか?」と提供された際に行ったと言われています。
しかし春帆楼での講和会議は無事に終了し、参加者たちもふぐの美味しさに感動をしていたそうです。
それからしばらくして「下関のふぐには毒は無し」とされ下関に限りふぐの禁止が解かれ今に至るのです。
歴史的現場にたまたま提供されたふぐですが、出席者の多くが感動したからこそ会議もうまくいったのかもしれませんね。
そんなふぐはそれから下関の人々の生活を支えるかけがえのないものになっていきます。
最近ではふぐを食べにやってくる海外の旅行者も多くいるようです。
そのため現在はふぐは一種のビジネスのように扱われているのです。
このように考えるとふぐはやはり福の神だとも言えるかもしれませんね。
□死神に変えるのも福の神に変えるのも消費者次第?
このようにどちらの側面も持っているふぐですが、ふぐを死神にするのも福の神にするのも消費する側だと言えるでしょう。
日本では危険とされるふぐをいまだに素人調理で食べる人が後を絶ちません。
その為ふぐによる中毒で救急搬送される人も多く、中には命を落とす人も少なくはないようです。
人の命を奪うと死神だというイメージが強くなってしまいますので、やはりプロが捌いた安心できるふぐを皆さんが食べる事で、ふぐは本当の意味での福に変わるのかもしれませんね。
福が意味する物には金銭的な意味ではなく、家族団欒や友人たちと囲み美味しく過ごすひと時も含まれている事を忘れないでくださいね。